日本人が忘れたもの

自分の子として育てて行く決意

私は、この事件で改めてフィリピンの貧困層の家庭が抱える問題を考えさせられたのでした。

さて、その後、彼は私が泊まっているホテルに部屋を取り、翌日には一連の事件にお世話した私にお礼の言葉一つ告げずに帰国したのです。
(今般、日本でも、この手の人が多いです。特にピナイ好きの人に・・・悲&怒)

この事件は忘れる事にしましょう!、とはいえ、忘れられませんよ!簡単には!
私自身ショックを受けたのですから...が、私には先に進まなければいけないのです、ダリアとの結婚の為に...!事件も一段落し、ケソンシティのダリアの兄が住む家にジープニーを乗り継いで向かいました。
途中、ロビンソンに寄り、しこたま食料品を買い入れて一路、兄の家へ・・・・・家に着くとそこには、数匹のやせ細った犬が、見知らぬものを威嚇するようにうなり声をあげていました。

家族の紹介が一段落すると酒盛りがはじまり(別に私は飲みたくないのですが)次々とつまみらしきものが出てきました。

その中には私がわかるような料理もたくさんありましたが、一つだけ分からないものがあり、尋ねると、皆がにやにやと微笑んでいて答えようとしないのでダリアに問うと、「良く見て、さっき何匹、犬が居た?」「今、何匹居る?」と、云うので、周りを見渡すとそこには、明らかに先程より一匹、大人の犬が居ないのです。

その瞬間、すべてが理解でき、さっきまで美味しく食べていた物のすべてが、胃袋から逆流するのが、わかり、犬を美味しく食した自分に気が付くのでした。(でも、骨っぽいけど美味でした。)

(尚、今のフィリピンでは犬を食すのは禁止されています。)

宴会も、大盛り上がりの中、日が傾き始めたので、ホテルに帰ることにし、翌日は、いよいよ、ダリアの田舎へ出発の日になるのです。

当日は、午後より、バスで一路ルセーナまで行き、(各駅停車バスのようで、ルセーナに着いたのは夕刻)で、ダリアに此処からどのくらいかかるのと何度も聞き出そうするも、笑いながら、直ぐ着くと云うばかりで要領は得ず、ルセーナからはジープニーで行く事になるのだが、出発は翌5時過ぎになり、私はこれからの長い旅を思うと、それだけで、気持ちが萎えて行くのが感じられるのでした。

さて、さて、ジープニーはようやく、私とダリアと8歳になる可愛い妹のビビアンと少し満員の乗客を乗せ、行き先が不明で不安な私の事などお構いなくルセーナを後にするのでした。
(この時点で到着地まで12時間もかかるとは思いもしませんでした。)

前半は、道路事情も良くスムーズでしたが、そこで一つの事件が起きるのです。それは、心温かいフィリピン人らしいエピソードなので、諸兄にも聞いてもらいたく、書き入れました。

ルセーナから3~4時間程の地点に分かれ道があり、その道を過ぎて30分も過ぎた頃になり、一人の妊婦が突然大声を挙げ、疾走するジープニーを止めさせたのです。 
私たち、他の乗客たちは、唖然とし彼女の話に耳を傾けると、先程の分かれ道で、降りなければいけないのに、乗り越してしまったのだと云うことだが、持ち合わせのお金がなく、その分かれ道までもどり家のある場所までのお金が無いと言う。

その話を聞いた乗客たちは、誰からともなく、小額のコインを紙で作った小さな箱に集め、最後には私のところに回って来たので、金額が解らない私は、ダリアにいくらぐらい渡せばよいのか聞くと、「気持ちでいいよ」との答えなので、日本人的には小額のジープニー代金も困るような、大変な生活事情を考えて、500ペソ紙幣を、差し出すと、その妊婦はそんな高額金は貰えないと云う事なので、交通費だけではなく少しだけど、これから子供が生まれてくればお金は必要だから、私からのお祝いだと思って受け取ってくださいとタガログ語で伝えると、彼女は喜んでお礼を言うと大きなお腹を抱えてジープニーを降り、走り出す私たちをいつまでも、見送っていました。

その後の走るジープニーの中は今までとは雰囲気が一変、それまでは、見知らぬ日本人の私をまるで異星人が如く避ける様にして来た乗客たちがまるで昔からの友人のように、話しかけ、其々がおやつを私に差し出し食べろと言い出す始末で、しばらくの間、退屈で元来明るい性格の私が無口になっていた旅が楽しく過ごす事が出来ました。

後でこの件の事をダリアと話したのですが、なぜ、私が乗客にフレンドリーにされたのか?と云う疑問に

ダリアは「フィリピンでは、困った人がいれば皆で助けるのが当たり前!」

「あの時の貴方のした事はみんながしたかった事なのネ!」

「でも、みんなも、貴方がしたことまではできないのよ!」「お金がないからネ!」

「その時、貴方はみんなが思っている事を代わりにしたから、ヒーローになったの!」

「だから、みんなは、あなたの事をパレホ ナ プソと考えたのよ!」

「でも、いつもはダメだよ!」「貴方は日本人なんだから!」と教えてくれたのでしたが、後にその事でいやと云う程の経験をするのでした。

そして、海岸線を通り、山道を越え、日が傾き13時間狭いジープニーに揺られてプロビンス ケソンのサン アンドレスと云う小さな漁師町に到着したのでした。
私は長旅で曲がってしまった腰をゆっくりと伸ばすと、大きく息を吸い込み、周りの風景を一回りしその素朴な町並みに懐かしいさを感じるとともに微かに香る潮風に疲れが飛んでいくようでしたが、そんな、私の感傷など無視するようにダリアは自分の家の方向に私を導くように肩を押し出すのだった。

そこは、街のはずれの海岸よりで、一つの部落の中にある高床式のベニヤ板で出来た、田舎では割と新しい立派な庭付きの建物が家で、この家もダリアが日本で稼いだお金で建てたのだろうと容易に察する事が出来て少しではありますが、感動するのでした。

家族との対面を済ました私はダリアに云われるままに、海が目の前に広がる、まるで、高級リゾートのコテージのような部屋に(雰囲気だけは!)通され、ここで、少し寝てと言うので、横になると、海からの心地良い風と潮騒が子守唄のように疲れた私を夢の世界に誘うのでした。

それから、どのくらい時間が過ぎたのか、ダリアが食事の用意が出来たと、私をまるで波に漂う船の如く揺れ起こし、その気持ちの良い眠りから目覚めさせ、初めてダリアの家族との晩餐に向かい、たぶん、いつもより豪華な食事(子供たちの目がそれを物語っていた。)を済ませ、ふと、外を見ると暗闇に無数の光るつぶらな瞳が私の目に飛び込んできたのです。

それは、フィリピンの片田舎に初めて訪問した日本人に興味がある地元の子供たちでした。

私はふと、子供の頃に地元府中市で経験した事を思い起こして、米軍の兵隊たちがものめずらしく兵隊が来ると一定の距離を保ちつつ、珍しげに見ていたのがフレードバックさたので、子供たちの側に近ずくと、私が子供の頃したようにそれまでじっと私の仕草を見ていたのに蜂の巣を突いた如く、大騒ぎで逃げ回り、又、しばらくすると様子を見ながら近ずく事の繰り返しがしばらく続き、突然飽きてしまったのか家へと帰ってしまった処に、ビビアンの二つ年上の姉が声を掛けてきて「クーヤ楽しい処に行こう」と10歳にしてはセクシーな態度で私の手をその小さな手で掴み、ある小屋へと誘い込みました。

私はある意味、危険を感じつつも、好奇心には勝てず、只その小屋へと足を勧めると、そこには地元の若者たちが輪になり、ギターを片手に歌を唄う姿でした。

最初は私を見ると、その場が凍りつくようでしたがすぐに元に戻り、唄うのを聞き入って居たのですが、突然、若者の一人が、私に近寄り質問を浴びせ掛けて来たのでした。

「貴方は何処の国の人」「なぜ、こんな田舎に何をしに来たの」と矢継ぎ早に言うので、日本人で、フィリピン人と結婚をする為に此処まで来たと話すと、ギターを持った若者が、ウェディングソングをひき始め、それに合わせるように、みんなで手拍子が自然に起こりはじめ、いつの間にか、私も輪に入り、歌を唄い、素朴な田舎の若者たちのふれあいに、過ぎ行く時間も忘れ、楽しくしていましたが、夜も更け、(時間はまだ8時ごろ)お開きの時間となり、妹と家に帰ることにすると、妹から、意外な一言が私にショックを与えるのでした、それは、
  
「クーヤ、おめでとうネ!」「アテ、ダリアの生理は二ヶ月前からないのよ!」と来たもんだ!

ちょっと、お待ちせい!ダリアがピナスに帰ったのは9月、私がピナスに来たのが、3日前の1月26日!その子は間違えなく俺の子ではない、仮に、日本に居た時の子がダリアの云うように流産していなければ、もう六ヶ月になり、かなりお腹も目立っているはずで、それもありえないのだ。私はその晩、眠れずに考えた末に一つの結論を出したのだ、それは此処まで来たからには、もう、後には戻らずに前だけを見て行こうと、安易な考えですが、30歳後半に指しかかった自分に言い聞かせて、人生をダリアに賭けようと思いつつ、生まれてくる子供は自分の子として育てて行こうと、決心しました。

そして、翌日の午後、その辺を散策していると、またもや一人のピノイがすれ違いざまに私の耳元に「イカウ、カカワ ナ ララケロ ナ シャー」とそっと声を掛けたのです。
私は怒りの表情で「アノ ダウ?」と答えると「ワラ ポ」と云いながら足早に、立ち去るのでした。
その時の私の心理はショックではありましたが、自分の進む道を決断した後でしたので、さほど気になるような出来事ではなかったのですが、これが、地獄の入口だったと気が付いたのは、それから、3年余りのダリアとの結婚生活の中でした。

あと、一つ気になる事が・・・それは、一番下の弟の事で、他にもその子を面倒見るアテが居るにもかかわらず、ダリアだけがその弟の面倒を見て、弟の方もダリアから離れようとしないので私はすぐに、気が付いていました、その子は間違いなくダリアの子であると云う事に!それでも、私はダリアとの結婚を決意し、(そこには馬鹿な日本人が・・・)後はすべて無事に済み、(とはいえ、細かいトラブルは数知れず・・・トホホ)一路、マニラに行き、それまでのストレスを振り払うように、ひとりで、(ダリアはいっしょに来たかった)カラオケバーで、マニラ最後の夜を満喫し、かって知ったるエルミタの街を歩き回り、エンジョイしていたところ、生理現象が私を襲うので、仕方なく路地に入り、事をし始めると何処からともなく一人の男が近ずいて来て、私の頭に銃口を向け、金をよこせと、云うので、小銭を出そうと思い、ポケットに手を入れるとその男は、何を思ったか脱兎の如く、その場を去ったのです。

(諸兄も街で、もようしたときは暗がりには行かないで下さいネ!)
  
まあ、何もなく、その後は楽しい、ラストナイトを過ごす事が出来たのですが、それで終わりではないが、マニラなのです。
  
翌朝、目覚めるとホテルのチェックアウトを済ませ、ニノイ アキノ空港へ早目に行き、カウンターで席を取り、さて、そろそろと、出国手続きを済ませ、免税店で少しの土産を買い、長い廊下に出るとこれまた問題ありのチェックポイントが、三箇所もあるのです。

今でこそ、ターミナル1もひどいチェックがなく快適なエアポートに変わりましたが、以前の空港を知る諸兄には経験あると思いますが、そのときの私もチェックの度に残りのペソは取られるし、ひどい時は、残りの円まで持ち出し禁止と云う始末! がしかしその後は何もなく無事日本へとフライトしました。